表千家 遊々庵 松本宗紅 先生

テイト氏との出会いは、横須賀市の国際交流課の職員として勤務していた時でした。
彼はアメリカの大学在学時に日本文化に興味があり、茶道にも関心をもっていたそうです。
来日後、 同じ職場の同僚職員の紹介で横須賀の稽古場に通うこととなりました。市の職員退職後は茶道教室の内弟子として十年余、横須賀教室の生徒講師として尽力していただきました。
日頃の稽古、季節の茶事の準備運営を担い、茶道への造詣を深めて力をつけていきました。東京品川にも教室があり、在菴時代に茶事だけでも百は超えており、教室の指導的立場でした。
教室独自の活動として海外との文化交流があり、ハンガリーやトルコ、スペイン、アメリカ等、 外国での茶道紹介活動にも力を注いでいただきました。茶道は総合芸術、建築、庭園、陶磁器、墨蹟、茶花など奥が深い物で、日本人でもなかなか理解が難しいものがありますが、教室の生徒を教えられるほどの知識を身につけていきました。
地元では老人福祉施設での茶道体験イベントの実施、陶器の制作活動の実践も行いました。また、地元小学校の総合学習で6年生に茶道文化を紹介する活動にも取り組み、皆さんから感謝の言葉も多くいただきました。
横須賀市の市政100周年記念のイベントでは茶会開催に尽力し、姉妹都市のフランスの交流使節来日の際には、横須賀教室で茶道の紹介体験の催しを開催していただきました。
幅広い活動と親しみやすい人柄、真面目な稽古の姿勢は、教室の生徒のみならず多くの人から慕われています。日本語は母国の英語を忘れるほど堪能です。日本語の能力と茶道の知識を生かし、英語で茶道の点前をする取り組みまでしていただき、今の時代にふさわしい楽しい活動でした。
関西での茶道教室の活動では、氏の工夫された新しい稽古の取り組みがなされることと思います。遠く離れたこちらで、彼の様子が聞かれるのを楽しみにしております。
小林 勇雄さん

ジョンとの出会い「一期一会」
茶席での禅語に「一期一会」があります。
茶道の開祖と言われている村田珠光が主客の心得として述べた言葉であり、有名な『山上宗二記』という茶書にその旨が記されています。
また、幕末の石州流の茶人として名高い井伊直弼も『茶湯一会集』という書物の中で【茶の湯の交会は一期一会といって、たとえ同じ主客が幾度交会しても、今日の会は二度と繰り返されないことを思うと、実に一生に一度きりのものである】と書いています。
茶道を嗜む者にとって、とても大切な言葉です。
私は、表千家遊々会で月に3回、夜に茶道の稽古をしていました。ある晩、髭のかっこいいアメリカ人のジョンが稽古している茶室に現れ、紹介されました。これがジョンとの出会いです。
これからは同じ日に稽古するとのことです。正に「一期一会」。この出会いを大切にしたいと思いました。
ジョンと一緒に稽古するようになって、稽古の雰囲気が良い意味で変化してきました。今まで以上に稽古が楽しく感じられ、アメリカ人のジョンに日本の歴史や言葉、茶道の内容を説明できるように知識と内容を高めるように、稽古にいっそう励まなければと思ったのです。
ジョンは日本文化の吸収に熱心で貪欲でした。アメリカ人のジョンにとって茶道は日本特有の神秘と日本的マナーを感じたのではないかと思いました。
茶道はおもてなしの心や侘び寂びなど日本の伝統文化、総合芸術と言われています。茶室・茶庭、掛け軸。花・香・茶碗・茶器・茶杓といった様々な道具、懐石料理・菓子・抹茶等その広さと奥行きは計り知れないからです。
ジョンは横須賀市役所国際交流課に勤務しているとのこと。私はそのすぐ裏の小学校の校長と幼稚園の園長を兼任していましたので、稽古日以外にも昼休みや放課後、いつでも会うことが出来ました。
私がジョンと校庭で話していると、子どもたちが「校長先生、英語がペラペラなんですね」と話しかけてきました。
「大事な話だからそばに来ないでね」(実は日本語で会話していたからです)
学校行事、幼稚園行事にもジョンの都合の良いときに参加を促したり、学校給食も体験してもらいました。また、12月の餅つき大会では大活躍、園児たちも大喜びでした。ジョンにとって初体験だったと思います。
横須賀市は日本の近代化に重要な役割を果たした横須賀製鉄所の建設に貢献した倉淵村出身の小栗上野介とフランス人技師フランソワ・ヴェルニーの功績をたたえ、群馬県の倉淵村と友好都市提携を結んでおり、毎年、市主催のヴェルニー・小栗祭を実施していました。
その式典やその後の懇親会の司会担当はジョンでした。日本語と英語、素晴らしいキャスターぶりでした。
